Tem.(てん)の日記

しがない歌い手の日常話とか雑談系統

今日1日についての話&家庭環境についての話

どーもー、

Tem.(てん)です。今回のブログ結構長いです。

でも見て頂けたら嬉しいです。

 

今日は昨日1日忙しかったのでめちゃめちゃ寝ました。私睡眠薬使わないと不眠症で寝れないんですけど、睡眠薬の効果抜群すぎて夕方まで寝ました。睡眠薬すごい。

 

その後は今日の夕飯の買い物に行きました。牛タンとレバーとトンカツ用の肉と鶏むね肉買いました。お肉好き。美味しい。

 

牛タンめちゃめちゃ美味しかったです。

この世の肉で1番うまい肉は牛タンだと思ってます。牛さんありがとう。感謝しながら食ってました。

 

夜は今後レコーディングする歌について彼と話し合ってました。多少揉めて一時はどうなるかと思ったんですけど無事2人の意見が合致して3曲25日のXmasの日に撮ってきます。

ちなみに全部叙情系のボカロです。

叙情系は得意分野なんでしっかり歌っていきたいなーと思います。

 

前言ってた家庭環境の話について触れていきたいなーと思ったので話させて頂きます。結構重い話かもしれないんですけど読んで貰えたら幸いです。

 

私は5人家族で、兄・弟の3兄妹の中の真ん中の1人です。兄とは6歳離れていて、弟は年子です。(1歳下)兄妹結構仲良くてよく遊んでました。幼少期の記憶は大好きなグミを買って貰って喜んでスキップしていたら、小石に躓いて右肘をずしゃーって擦りむいてめちゃめちゃ泣いたなーってのが1番の記憶です。傷跡今でもあります。あれ痛かった。

 

昔からおてんば娘ってよく色んな人に言われていて、よく両親に怒られてました。

あと、私はお兄ちゃんや弟と違ってスポーツができるわけでもないし何かができた訳でもないので勉強をすごいやらされてました。小中高大全部受験してて小中は失敗して親にぶたれて怒られて「期待はずれだ。」と一言投げかけられその日は夕飯も出して貰えなかったことが強く印象に残ってます。

 

父親はとても厳しい人でしつけの一環でと言ってよく私や兄弟を叩いたり殴ったりものを投げたりしてきました。お兄ちゃんがある日お父さんに楯突いて父がブチ切れてお兄ちゃんをリビングから和室までぶん投げたのをよく覚えてます。すごくこわかったです。

 

私も沢山怒られて育ってきていて、髪の毛を引っ張られたり家の外に出されたり教科書を投げてきて「なんでこんなこともできないんだ!」と言って叱られて育ってきました。

 

小学生に上がる前から私は「何も出来ない子」っていうのが自分の中に植え付けられていて、テストで100点をとっても「当たり前だ」と言われて褒めてもらえる事もして貰えませんでした。かたや、兄や弟はスポーツでとても優秀で様々な成績を残していたので親は鼻が高いと感じていたのか沢山褒めていました。そんな兄弟を見る中で次第に私の中でどんどん私は「何も出来ない子、何も無い子」というのがコンプレックスになっていきました。

そのせいかストレスが沢山溜まってでも親に言うことも出来なくて、両手の親指の皮を剥くことによって少しストレスを解消していました。あと昔にお兄ちゃんから貰ったくまのぬいぐるみに話して1人部屋で泣くという日々を中学生くらいまで過ごしてきました。

 

そんな時、中3の夏、私は興味本位で母子手帳を見てしまいました。

単純に気になったから見たのですが、今は見なかった方がよかったのかなと少し後悔する時もあります。父親の名前が違かったのです。

私の母は再婚していたのでした。

 

小学生に上がる前に1度苗字が変わったことがあってその時親に聞いた時にこぴっどく叱られてそれから苗字を聞くことに関してはタブーだと幼いながらに感じ聞かないようにしていたのですが、全ての事象に説明がついて涙が止まりませんでした。引っ越しが多かったこと。弟とあまり顔が似ていないこと。お兄ちゃんが謎に焼酎の瓶を見ると震え出すこと。母親がPTSDを患っていて苦しんでいること。

中3だったけど、それなりの理解はできました。弟の母子手帳を見たら案の定弟とは血が繋がっていないことも判明しました。

 

私は怒りと悲しみと辛さと苦しさでいっぱいでした。その時私の中に渦巻いていたなにかが弾けちった感じを今でも鮮明に覚えています。

 

私はリビングにいる母親に母子手帳を見せて

「これはどういうことなの、なんで」と涙ながらに言いました。

すると母は下を向いて「ドウシテミテシマッタノ」と機械的な声でぼそっと私に投げかけてきました。

そしてそのあと全ての真実を話してもらいました。

母親の元旦那さんはDV男でろくに働いてもくれず他の女と遊び続け家計を苦しめ続けていたこと、そのせいで母はPTSDになってしまったこと、兄は焼酎の瓶で頭を殴られて大出血をし、数針縫ったことがあること。幼い私と兄を連れ出して逃げてその時に出会ったのが今の父であること。

 

母は謝罪をしてきました。

「こんなろくでもない母親でごめんね。」と。

 

しかし私は母に対してでは無く父に怒りを感じていました。私は今まで血縁者でもなんでもない人に虐待を受けながら育ってきたのか、再婚相手なのに私たち兄弟を沢山叩いてきたのか、それを見て母が泣いて苦しんでいるのになんでやめてくれなかったのか。

私の中で父に対する何かが完全に壊れた瞬間でもありました。

そうこうしているうちに何も知らない父という仮面を被った男が帰ってきました。(その時の私はそう思ってしまいました)

そして父は全てを知られたことを悟り黙って私を見ていました。そんな父を見て私はただ一言こう言うしかありませんでした。

「あんたなんか私のお父さんじゃない。嘘つき。」と。

 

私はその日以来家族に対する不信感が増え、ストレスも増え、嘘をつくことが多くなりました。成績のことでも嘘をつき、それがバレまた叩かれた時にはもう何も感じなくなっていました。私は高校に上がる前に感情を失ってしまったんじゃないかって今は思ってます。

 

高校にあがり、やはり今まで通りの父に対してもう何も思いませんでした。

心の中にあるのは「早く死にたい、楽になりたい、1人になりたい」そんな感情ばかりでした。

 

周りの友達が両親の話をする時羨ましくて仕方がありませんでした。私の父は八方美人なので外での振る舞いはまるで「仲のいい家族」を演じていたので周りは気づいてくれませんでした。幼少期から自分の心に溜めるくせがあった私は誰にも話せることなく、1人で孤独を感じていました。

 

大学受験が終わり、親の言われた大学に受かってまず第1に思ったのは「よかった、これで怒られないで済む」という感情だけでした。

大学に受かって嬉しいなんて気持ちほとんどなかったです。私は「家を出れる!」と勘違いをしていました。しばらくたって親に言われたのは「実家から通いなさい」と言う一言でした。

 

私は絶望しました。

まだここに居なきゃいけないんだという気持ちでいっぱいでした。しかし逆らうことも出来ず「うんわかった」と嘘の笑顔で言うことしかできませんでした。

中3のことがあって以来心から笑うことができなくなっていたんです。

 

そして大学にあがり、今までとはかなり違う自由を手に入れて家に帰らない日々が増えました。サークルの先輩の家に泊まったりオケオールをしたり、毎日飲んでは終電逃して帰らないという日をしばらく過ごしていました。

私は自由になれたと勘違いをしていました。

親から連絡が来る度しばらく震えが止まらない、携帯が見れないそんなの日常茶飯事でした。

 

今年の5月急に右耳の聞こえが悪くなり、家族の声が全く聞こえなくなった時がありました。

そして6月に入院をし「突発性難聴」と診断されたのですが、詳しく検査をするとそうではなく内耳は悪くなっていなくて「心因性難聴」の疑いが高いと入院して5日くらい経った頃にお医者さんに言われました。

それを聞いた両親は「気の問題ならもう入院する必要はない、退院だ。」と言って次の日に強制退院を強いられました。

 

もう心も体もボロボロでした。

休まることは出来ず20年近い人生で止まることができなかった私はもう無理に近い状態でした。もう限界だ、無理だと思い、恐怖心を必死に抑えて逃げ出して、今の彼と同棲を開始しました。

 

そして色々月日をすごし、自殺未遂や死にたいという感情、不安や恐怖心で寝れない日々、彼の家に居ても親に囚われ続けていてもうダメになっていた私をみて、彼は私を優しくぎゅっとしながら「病院に一緒に行こう」と言ってくれました。そして11月前に診断された結果が

「強迫性皮膚摘み取り症(別名:皮膚むしり症)・不安障害・パニック障害心因性難聴・不眠症

 

この5つでした。

私は病気だったんだとその時ようやく実感をしました。心がもうボロボロで限界なんだよとお医者さんも言っていました。

 

薬を使ってゆっくり治療をしていこうとなって今に至るのですが、薬を飲んでいても死にたい欲や不安や恐怖心は襲ってくるのですが、前よりはマシになったなと思います。

 

おかげで今年の半年間で体重が6kgも落ちてしまい、体力も若干落ちました。これは老いかもです(ガチ)

 

そしてずっとやりたかった歌い手。

歌を聴いて歌うというのが私の人生をなんとか支え続けてきてくれたものでした。

その夢も叶い、まだ生きてもいいかな、もうちょい生きてみようかなと最近は思えています。

 

このような悩みや苦しみを持っている人は世の中にまだまだ沢山居ると思います。

その人たちの希望になれるような、少しでも救えるような、小さい頃私を救ってくれた敬愛している歌い手さんのようになりたいなと思っています。

 

今、親も全てを理解してくれ、謝罪をしてくれました。謝るだけで私が負ってきた傷は癒えないけど、少しずつ親とも蟠りが解消できるように頑張っていこうと思い、過ごしています。

 

これからも歌っていきたい

これからも歌で誰かをHappyにしたい

この気持ちだけは絶対忘れないように

歌い手活動精進していきたいです。

 

こんな長くなっちゃってごめんなさい。

これからもまだまだ未熟で不甲斐ないTem.ですが、どうかよろしくお願いします。

絡んでくれる人や歌を褒めてくれる皆が大好きです。感謝しています。

 

明日はXmas eve

皆が幸せではっぴーな日を過ごせますように🎅🏻

 

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

 

以上Tem.(てん)でした。

またねーばいばーいおやすみー🥱

 

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